仙台地方裁判所気仙沼支部 平成3年(わ)14号 判決 1991年7月25日
主文
被告人を懲役六箇月に処する。
この裁判が確定した日から二年間、右の刑の執行を猶予する。
理由
(犯行に至る経緯)
被告人は漁労長として、Aは船長として、Bは甲板長として、C(当時三八歳)は甲板員として日本国船籍を有する鮪漁船第八富山丸(富山県鮭鱒漁業協同組合所有)に乗り組み、平成二年一一月二九日午前二時三〇分(日本国時間)ころ、南太平洋上の南緯四度三〇分、西経一四〇度五九分付近海域において、鮪延縄漁に従事していた。
その時刻ころ、第八富山丸の船尾甲板上においては、Bが延縄のスナップ掛作業に、Cが餌掛作業にそれぞれ従事していた。Bは、日ごろから心良く思っていなかったCの作業がもたついていることを注意したところ、同人が不満そうな顔をしたことなどに憤慨し、同人の頭部を直径約四二センチメートル重さ約7.5キログラムの樹脂製浮玉で強く殴りつけた。その結果、Cは、まもなく意識不明となってその場に倒れ、直ちに船室に運び込まれた。また、第八富山丸は、操業を中止して、フランス共和国領マルケサス諸島ヌクヒバ島へ向け、急ぎ航行を始めた。しかし、Cは、同日午後八時五五分(日本国時間)ころ、第八富山丸の船内において、Bの右殴打行為による頭部打撲に基づく急性硬膜外血腫により死亡した。
被告人は、CがBに浮玉で殴打された直後から、Bを問い質して、右の殴打等の事情を知っていたが、Cの死亡後、Bから、「玉出し作業中に過ってぶつけたことにして欲しい」旨を頼みこまれた。他方、船長であるAは、被告人と同様に右の事情を知っていたが、Cの死亡を端緒に既に捜査を開始していた伏木海上保安部から事故状況の報告を求められ、その対応に苦慮していた。
被告人は、Bの申し入れを承諾すべきかどうかについて、あれこれ悩んだ。とりわけ、自分がBを甲板長として第八富山丸に乗り組ませたのに、BがCを浮玉で殴打して死亡させてしまったことに強く責任を感じていた。また、被告人は、同船の鮪延縄漁が始ったばかりで漁獲量も十分ではなく、このまま操業を中止して帰港した場合には、乗組員らに対する賃金の支払も覚束なくなるだけでなく、乗組員らが出漁の際に借金をして仕込(身支度のこと)をしていることから、乗組員らがその借財を返済できなくなり、生活に困窮してしまうだろうと考えた。加えて、被告人は、当時、操業中の事故による死亡でなければ、死亡した漁船員の遺族に対して死亡保険金が給付されないものと誤解していたため、海上保安部等に真実のとおりの顛末を報告すれば、事故死によるものでないことが明らかとなって、Cの遺族に対して死亡保険金が給付されないかもしれないと考えた。
そこで、被告人は、Aほか幹部乗組員らを説き伏せたうえ、Bの前記犯罪を秘匿し、Cの死が操業中の事故死であったことにするため、偽りの内容の事故報告書等を作成し、これを伏木海上保安部に提出しようと決意した。
(犯罪事実)
被告人は、Aと共謀のうえ、同年一二月一日ころから同月二日ころまでの間、前記海域からフランス共和国領タヒチ島パペーテ港へ向け航行中の第八富山丸の船内において、「浮玉移動作業中の甲板長Bが過って枝縄解き作業中の甲板員Cの頭部に浮玉を当てた」旨の虚偽の内容の死亡事故発生報告書を作成するとともに、当時、BとCが浮玉の受け渡しをする場所にいた旨の虚偽の事実関係を示す配置図を作成した。そして、被告人は、同月三日、第八富山丸の船内において、右偽造した死亡事故発生報告書等を写真電送することをAと共謀したうえ、第八富山丸を一時下船し、同日、タヒチ島パペーテ所在のタカマルエージェンシー(全国漁業協同組合連合会外地課から代理店業務を委託されている)の事務所において、同事務所に設置されていたファクシミリ装置を用い、伏木海上保安部に宛て、右偽造した死亡事故発生報告書及び図面を写真電送して提出した。
被告人は、右の各行為により、Bの傷害致死事件に関する証憑を偽造して湮滅するとともに、これを行使して証憑を湮滅した。
(証拠関係)<省略>
(法令の適用)
1 犯罪事実
(行為時)
証憑偽造の点については、包括して刑法一条二項、刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一〇四条、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号
偽造証憑行使の点については、包括して刑法一条二項、刑法六〇条、平成三年法律第三一号による改正前の刑法一〇四条、同改正前の罰金等臨時措置法三条一項一号
(裁判時)
証憑偽造の点については、包括して刑法一条二項、同法六〇条、平成三年法律第三一号による改正後の刑法一〇四条
偽造証憑行使の点については、包括して刑法一条二項、同法六〇条、平成三年法律第三一号による改正後の刑法一〇四条
2 新旧法の選択 刑法六条、一〇条(軽い行為時法を選択)
3 牽連犯 刑法五四条一項後段、一〇条(犯情の重い偽造証憑行使証憑湮滅罪の刑で処断)
4 刑罰の選択 懲役刑を選択
5 刑の執行猶予 同法二五条一項
(補足的説明)
本件犯罪事実の認定等に関して、若干付言する。
1 (証憑偽造罪の該当性について)
被告人の証憑偽造の行為は、作成名義人であるAと共謀のうえ、虚偽の内容の文書等を作成したというものであって、文書の作成名義を偽る行為をしたものではない。しかし、刑法一〇四条が証憑偽造行為を処罰の対象としているのは、「犯罪者に対する司法権の行動を阻害する行為を禁止しようとする法意に出ているもの」であり、「同条にいわゆる証憑とは、刑事事件が発生した場合捜査機関又は裁判機関において国家刑罰権の有無を断ずるに当たり関係があると認められるべき一切の資料を指称し、あらたな証憑を創造するのは証憑の偽造に該当」するところ、作成名義人でない者がその作成名義を偽って虚偽の証憑を作出する場合でも、作成名義人が内容虚偽の証憑を作出する場合でも、そのいずれもが犯罪者に対する司法権の行動の阻害となることは明らかである。それゆえ、作成名義人が虚偽の内容の文書等を新たに作出する行為は、刑法一〇四条の証憑を偽造する行為に該当する。
したがって、被告人がAと共謀のうえ本件死亡事故発生報告書等を新たに作出した行為は、刑法一〇四条の証憑偽造証憑湮滅罪に該当する。
2 (日本国刑法の適用について)
被告人の証憑偽造と偽造証憑行使との間には手段結果の関係があるので、これは、刑法五四条一項後段の牽連犯であるが、牽連犯にあっても、その牽連犯関係にある個々の行為につき各別にその犯罪成立要件の全部を充足していることを要する。ところが、日本人が日本国籍を有する船舶内で実行した偽造証憑行使行為については、刑法一条二項により日本国刑法が適用されるのに対し、日本人が日本国籍を有する船舶又は航空機の外にある外国領土内で実行した偽造証憑行使行為について日本国刑法を適用する規定は存在しない。しかし、偽造証憑行使行為の一部が日本国籍を有する船舶内で実行された場合には、その行為の全体について日本国刑法が適用されると解する。
被告人は、日本国籍を有する船舶第八富山丸の外の外国領土に属するフランス共和国領タヒチ島パペーテにおいて、偽造した証憑を写真電送して行使したものであるが、この送信行為は、Aと共謀のうえなされたものである。したがって、犯罪行為の一部である共謀が第八富山丸の船内でなされたのである以上、その行為の全体について、日本国刑法の適用があり、本件については、偽造証憑行使証憑湮滅罪が成立する。
3 (犯罪の個数について)
被告人が偽造した死亡事故発生報告書及び図面は、それぞれが数枚にわたるものであるので、その一枚の作成毎に各別に証憑湮滅行為があるとも考えられる。しかし、本件により偽造された報告書等は、内容的に見ると相互に関連・補完し合うものであるし、かつ、それが偽造された目的、機会ないし場所も全く同じである。したがって、本件証憑偽造行為については、包括して、一個の証憑偽造証憑湮滅罪が成立するものと解する。
同様の理由により、被告人の偽造した証憑の行使についてもまた、包括して、一個の偽造証憑行使証憑湮滅罪が成立する。
(量刑の事情)
大洋を航行・操業中の漁船は、陸地から隔絶された一種の密室である。それゆえに、万が一にも漁船内で発生した犯罪につき、乗組員らが口裏を合わせてこれを隠そうとすれば、その犯罪について捜査機関が迅速に捜査を遂げることにつき重大な支障をきたし、結果的に、犯人に対して適切な処罰を加えることができなくなる。また、犯罪の被害者が加害者である犯人に対して損害賠償請求権を行使し、その損害を回復する機会を奪う結果ともなりかねない。それだけでなく、どのように口裏を合わせて漁船で起きた犯罪を隠し通そうとしたとしても、いずれは人の噂となって知れることがあるのは経験上しばしばあることであるが、そうなった場合、他の漁民や一般人に対して、遠洋漁業に従事することが非常に恐ろしいことだとの不審の念を根付かせることともなり、結果的に、今後の若い漁船員のなり手を大幅に減らすことともなりかねない。このように、漁船の操業中に発生した犯罪について、乗組員らがそれを隠して事故に見せかける行為は、それが単に犯罪に対する司法権の行使の阻害となるという意味においてばかりでなく、いわば漁民が自分で自分の首を絞めるのに等しいような行為であるという意味においても、極めて悪質な行為であるといわざるを得ない。
ところで、被告人は、Bと同郷人でこれまでも一緒に仕事をしたことがあるという以上に特に懇意であるわけではなかったが、BがCに傷害を負わせて死亡させたことを知り、前記犯行に至る経緯に記載のとおりの動機により、結局Bの依頼を承諾した。そして、被告人は、当初は嘘の事実を報告することに消極的であった船長を含む第八富山丸の幹部乗組員全員を説き伏せ、その了解を得たうえで本件犯行を実行したのである。被告人は、当時、第八富山丸の漁労長の立場にあり、共犯者であるAも船長という責任ある立場にあったのであるから、本来ならば、Bを説得し、自首を勧めたうえ、寄港地であるタヒチ島からBを速やかに帰国させるのが本来あるべき対応であったはずである。それにも拘らず、被告人らがBの犯罪を隠蔽すべく、本件犯行を選択したことは、その地位にふさわしい対応をしなかったという意味でも、非常に遺憾なことである。そして、その後更に操業を続けて所期の漁獲量を確保した第八富山丸が気仙沼港に帰港した後に、気仙沼海上保安署員らの綿密な捜査により、結局、Cの死亡が事故によるものではなく、Bの傷害行為によるものであることや被告人及びAらが共謀してそれを事故によるものとしようとしたことなどの事実が発覚した時点になってもなお、しばらくの間、被告人は、真実を覆い隠そうと試みた。このような被告人の対応等に照らすと、被告人の本件犯行に対する責任は、極めて重いものというべきである。
しかしながら、被告人は、本件犯行が発覚後、その身柄を拘束され、深く反省するとともに、Cの遺族らに対しても陳謝する態度を示している。また、被告人は、Cが船上で倒れた際には、応急手当てをしたうえ、宮城県塩竈市所在の塩釜掖済会病院と無線で連絡をとって必要な薬剤等を調べ、船上で可能な治療を尽くし、他の乗組員らと共に懸命になってCの介護にあたっていた。他方、BのCに対する傷害致死事件が比較的早期に発覚し、Bに対する捜査も速やかに遂げられた結果、被告人らの証憑湮滅行為による捜査の妨害の程度も致命的なものとはならないで終った。これらの事情に併せ、第八富山丸の船長であり、被告人を含む乗組員全員を指導・監督し、船上の出来事について全責任を負うべき共犯者Aが現時点では特に処分も受けないまま洋上に出漁していること、被告人には業務上過失傷害による罰金前科のほかにはさしたる前科もないこと等の被告人にとって有利な事情もある。
右の諸事情を総合的に考慮すると、被告人の本件犯行については、主文の程度の懲役刑はやむを得ないが、その刑の執行を猶予するのが相当であると判断する。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判官夏井高人)